なついろ

気の向くままに

私の東日本大震災

どうもこんにちは、なついろです

今回何についての記事を書こうかなと、 カレンダーを見たときに あぁそういえばもうすぐ11日かと気がつきました。 思い出すのも辛い方が居るかと思います。どうしても、私が経験した3.11、私の視点、からしか書けません

気が向いたら、読んでください


その日

私は、関東地方の栃木県に住んでいます。五年前、私は中学一年生でした。

その日は中学校の終業式で、体育館に一、二年生と先生方が集まっていました。既に三年生は卒業しており、その妙に空いた空間を寂しく感じていたのを覚えています。

地震が起こったのはその終業式の最中でした。 大きな揺れはなかなか終わらず、みんなが不安そうに上を見上げたり、友達を見たり、先生を見たりしていました。私は友人と手を繋ぎました。先生の指示に従って校庭に移動し、しばらくの間そこにいました。 実際の時間は分かりませんが、一時間ほど居たように思います。私たち生徒はもちろん、先生方も今何が起っているのか、情報を待っていました。

その時、私は自分の住んでいる地域のことだけを思っていました。一番の被害地域だと思っていたわけではなく、自分の地域以上に被害がひどく、危険にさらされている地域があると考えられなかったのです。 私たちはどうなってしまうのだろう、母はどうしているのか、父は、兄は、家は、これからの生活は…


その日以降

家の被害は中だけで済みましたが、棚は崩れ、ありとあらゆる物が床や机の上に散乱しており、足の踏み場はありませんでした。 家の中に居なくて本当によかったと強く思ったのを覚えています

学校はしばらくの間休校となり、余震が続き、電気も通らない薄暗い家の中で家族といました。 断片的に入ってくる、震災のニュースは事実として受け入れるには、あまりに今までの日常とはかけ離れすぎていました


今思うこと

震災から五年経つ今、やっとのことであの事実を真実としてのみ込めるようになりました。東北地方と比べると被害は軽いけれど、確かに地震の恐怖を強く感じました。 当時、自分の見える範囲のことで精一杯の私でしたが、これからは自分が人のためにできることをやりたいと思います。 そして、震災を、いつ起こるのか分からないものだと考えるようになりました


3月11日が近づくと、被災者にインタビューしたものを見かけることが多くなりました。 いつも競技にストイックに向き合い、私たちに勇気や希望、ワクワクする気持ちを届けてくれるスポーツ選手の方が涙ぐむ姿を見ると多くのことを考えさせられます

手と手を取り合って皆が乗り越えていける日を